2008年12月23日火曜日

年末恒例スカウト仏教章講習会です


 今年も年末の押し詰まった25日-27日に、恒例の仏教章講習会が三島であります。もう何年と行っているので年末家にいないのが常になっています。これをしないと年が越せないようになってしまいました。
 スカウトは学校と違って、いろんなタイプの子が集まります。勉強の出来る子もいればそうでもない子もいます。生活態度もいろいろです。しかし、どんなにだらだらしていてもホイッスル1つでぴしっとしたときは感激です。みんなスカウトなんだと思います。
今年はどんなスカウトが来るのか楽しみです。帰りの三島のうなぎも楽しみです。
写真は講習会での勤行です。みんな正座してお経を読んでいます。

2008年12月21日日曜日

年末いろいろ


 年末になりました。あと10日です。まだ宴会続いています。昨日は横浜の桜木町まで行きました。トイレに行っているうちに皆とはぐれてしまい、二次会に行けませんでした。お陰で早く帰ることが出来たのですが、家につけば、何でこんなに早いのかと言われる始末。
 最近、フィルムカメラを持ち歩いています。それもマニュアル機です。デジタルカメラ少し休憩です。デジタルはフィルム代がいらないので、一枚一枚に力が入りません。下手な鉄砲数打ちゃ当たる的になり、結局一枚も良い写真がなかったりします。久し振りにファインダーを覗くと、まずファインダーの大きさにあらためて感激します。デジタルはファインダー小さいから何をねらっているのかわからなくなります。先ずピントを合わせて、露出を確認して、画角を決めて、パシャッとシャッター切ります。なかなか良いもんです。
 築地場内市場のインドカレーの「中栄」(なかえい)さんに久しぶりに行きました。。築地本願寺に勤めている頃からよく行っていましたがここ最近ご無沙汰でした。「インドキャベツ大盛り味噌椀玉落ち!」懐かしい響きです。インドカレーにキャベツの千切り大盛りでみそ汁に玉子おとしてと言うことです。今回はお土産用のビン入りのカレーとハヤシを買いました。「インドとハヤシのビン一ずつ」と注文するのです。昔はビン入りでしたが、今はプラスチックの容器になりました。ビンの頃が懐かしい。
 何か今年の冬は暖かくて年末の感じがしません。コートも着てても暑くなることが多くて、特に電車の時はハンカチを手放せません。

2008年11月26日水曜日

歯医者

歯医者に行った。築地本願寺の報恩講でお斎弁当を食べ終わって、つまようじを使っていたら、歯の詰めものが一緒に取れてしまった。こういうのは初めてではない。いつも、取れた金属を持っていくと、そのまま接着して、はいおしまい。と言うことになる。しかし今回はちがった。「あ~・・隣の歯に虫歯がありますね~」ということで、新しい金属をつけることになった。
今日は削って、型を取って、仮のものを詰めてある。これから年末にかけて、宴席が多くなる。はやく治療が終わって欲しい。

2008年11月13日木曜日

本願寺新報に載ってしまった


拙寺で作った白象の貯金箱が、宗派の新聞「本願寺新報」11月10日号の最終面(8面)にカラー写真付きで載ってしまった。これで大量注文がくるかな。あと900個位あるけど大丈夫か?大丈夫でしょう!一つ500円です。もしご注文があれば拙寺ホームページからメールでご連絡下さい。

2008年11月11日火曜日

ブータンの動画をアップしました

ブータンの動画をアップしました。下の記事の場所のです。ワンデュポタンゾンのお祭りです。動画だとその日の興奮が甦ってきます。

2008年10月20日月曜日

ブータンから帰国しました


10月6日から18日までブータンに行ってきました。パロ~ティンプー~プナカ~トンサ~ワンデュポタン~ブムタン~ウラと、西から中央ブータンまで、今回はお寺のチェチュ(お祭り)の日程に合わせて回り、数々のチェチュでお参りしてきました。
ブータンの自然に会い、環境に会い、人に会い、こころに会い、仏教に会い、自然を大切にし、環境を大切にし、人を大切にし、こころを大切にし、仏教を大切にする姿はどれもこれも素晴らしいものばかりでした。
物質的にははるかに日本の方が豊かなのに、こころや笑顔や人の姿ははるかにブータンの方々の方が豊かでした。
幸せとは自分一人でなるものではなく、みんなが幸せにならないと本当の幸せにはならない、と言う言葉を聞きました。日本や先進諸国では、自分一人が幸せになることに必死になっている。こういう幸せは次元の低い幸せだそうだ。考えさせられる。どこまでも誰にでも仏教の教えが行き届いている。幸せな国だ。
写真はワンデュポタンゾンのチェチュで中心にパドマサンババが描かれた大きなタンカ(仏画)が上がったところ。チェチュの最終日暗いうちから始まり、タンカが上がったのは午前6時ころ。

2008年10月2日木曜日

謎の空間出現! 「本願寺和田掘廟所」野外特設劇場


本願寺和田掘廟所にお墓参りに来た方が不思議そうな顔をして「これなんですか?」と。
10月10日初日の演劇、オルガンヴィトーVol.17「バロウ2008」の特設劇場がだんだん出来上がってきた(写真)。パッと見、お世辞にも芝居小屋には見えない(失礼)。黒いテントで覆われた空間は秘密集団の野戦本部のようである。下高井戸の「青の奇蹟」を知っていれば、やっぱりこうなったかと思うだろうがしかし、今回の劇場は200mはあろうかというお寺の桜並木を背負った奥行きの深~いステージが作られている。どういう風に使うか全くわからないが、非常に楽しみである。

お寺でお芝居というと、えっと思うかも知れないが、そんなに驚くことではない。
現に築地本願寺にはブディストホール(約150席)があり連日演劇がかかっているし、以前は「黒テント」「一世風靡」の野外公演をしたこともある。極みは何といっても、境内に円形野外劇場を作り公演した「オイディプス」(平幹次郎主演、監督は蜷川さんだった)であろう。

古くは歴史ある多くの寺院は、境内に能舞台をもち、演者に演ずる場所を提供し、文化と教養を守ってきている。今にしては能は伝統芸能だが当時は、アバンギャルドな芸能であったに違いなく、寺院が守らなくては今はなかったのではないだろうか。大きな襖絵なんかもそうであろうと思う。画家を守り、場所を提供したのは寺院であった。寺は文化の中心で、それを民衆に提供した場だったのだ。

いつか寺で芝居をしたかったが、最近の寺は住宅に囲まれ、芝居中の音漏れがクリアできないのが現状。そこで本願寺の和田堀に白羽の矢が立ったのです。そして、浄土真宗の門徒である不二稿さんの脚本も台詞にしっかりと浄土真宗の教えが組み込まれ、前回の舞台では難解なストーリーも南無阿弥陀仏の一言で摂め取られてしまっていた。

今まで、お寺で芝居というと、子ども会がお釈迦さまの劇をしたとか、婦人会がしたということが多かった。不二稿さんの作演出はそれとは違う。前回の公演では、人間の(自分の)悪性を真正面から描くと本当はこうなんだろうなと思った。きれい事ではない。きれい事ではないところでそこを表現し、救われていく喜び、すでに救われていた喜びにつながっていくところは一席の布教を聞いているようであった。

と言うようなこともあって、寺での公演を、オルガンヴィトーの不二稿さんに話しをしたら、実現してくれたのです。

私、初日には行けないのですが、途中と楽日には行きたいと思っています。

2008年9月21日日曜日

復活

ADSLとPC、共に復活しました。めでたしめでたし。ADSLモデムの故障により、新しいモデムと交換したのですが不調で、プロバイダー(DTI)と相談して速度を400kまで落としても安定しませんでした。可能性としてモデムの初期不良か?と言うことで、また交換。今度は切れることなくつながりました。その後元のスピードまで上げてもらい、現在順調につながっています。契約が8Mなので、5M位しか出ませんがいい感じです。もう光100Mが常識の時代、レトロな感じでいいでしょ。

PCの方は、DELLから帰ってきました。ハードディスク交換と言うことで、中に入っていたデーターは全部パーです。修理に出す前にデータは吸い出しましたのでなんとか移すことが出来ました。でも、前のハードは返してくれないので(何故か不明)残っていたデータが流出しないか心配です。DELLは「責任を持って処理するので絶対にその心配はない」と言い切っていますが、そこに人間が介在する限り「絶対」と言うことはあり得ないが信用することにした。

その後が時間がかかった。長い間で構築したPCなので、データの移動、プログラムのインストールと細かな設定、深夜までおよんだ。何しろウインドウズしか入ってないから、ワード、エクセル、IE、アウトルック、フォトショップ、ホームページソフト、名簿ソフト、などなど。ずいぶん出来たがまだ完全ではない。

彼岸中だというのに・・・。

2008年9月10日水曜日

さんざんです

pcは修理に出ています。まだ帰ってきません。今はサブ機のノート型IBMシンクパッドを使ってます。
今度は、adslが繋がらなくなりました。突然です。プロバイダーに電話で相談しましたら、モデムの交換と言うことで、早速送られてきました。ここまでは迅速で良かったんですが、いざadslが開通したら今度はインターネット中にすぐに回線が切れるようになってしまいました。メールもままならない状態です。
再び、プロバイダーに電話したら、通信状態がわかるようで、「回線がブツブツ切れていますね。」と言われてしまいました。いろいろ話しをしましたが、結局、回線業者に「安定化」してもらうように言います。ということでした。いつ作業が行われるかわかりませんが作業が終了したらメールが届きますということでした。
ネット回線をもう一本確保しないといけないかも・・。早く如常に戻りたいです。

2008年8月26日火曜日

ブルーバックエラー c0000218

家のメインPCが「c0000218」ブルーバックエラーがでた。ウインドウズが立ち上がらないのである。
何が起こったのかわからなかった。経験上再起動したりするとすぐ復帰することが多いので何回か試したが、全くだめ。
サブのノートパソコンでネット上でエラーコードを調べたら、なんと「死のエラー」とか「ご愁傷様」とか出ていた。かなり深刻なエラーと言うことがわかった。ハードディスクが壊れたらしい。
先ずは、データの救出が第一。pcに詳しい友人にデータ救出の方法を聞いた。内蔵ハードを外付けハードにするケースを使っての救出方法を教えてもらった。壊れたPCを開けて、ハードディスクを取り出して、ケースに入れて、健全なPCのセカンダリーハードとしてデータを吸い上げた。救出先は一緒に買ってきた、外付けハードディスク。データは全部行ったが、プログラムなどのファイルはそこそこ移動できたが、全部は行かない。(?)

PCを修理に出すか考え中。出すと思うが・・。見積もりが結構高い。基本はハードの取り替え、最悪はマザーボードまで取り替えるかも知れないと言う。

2008年8月14日木曜日

大阪北御堂 ”本願寺津村別院”


 











13日から大阪の津村別院のお盆法要に来ています。法話の担当です。16日の午前中までです。初めての大阪で町の様子がよくわかりませんでした。新大阪を降りて先ずとまどったのがエスカレーターでした。立つ位置が東京と左右逆でした。京都も同じはずですが、何故か間違えました。
別院のご接待は至れり尽くせりで、とても気配りの聞いた丁寧な職員さんばかりで、こちらが恐縮するほどです。築地本願寺もこうであってほしいです。講師部屋もきれいで、エアコンも最新型で頼もしいです。パソコン用のLANがあればもっといいですがそれはありません。築地本願寺もありませんが本山の講師部屋にはあります。今はイーモバイルでつないでます。
食事もなかなか良いです。部屋の担当はシルバー人材センターの派遣さんで、これがまた気のきく良いおばちゃんが接待してくれます。快適です。今晩と明日は街に出てお夕食になりそうです。大阪の夜の街は学生の時以来です。

2008年8月8日金曜日

富士山五合目へ


三島から帰ったばかりなのに、再び富士山へ(車で)。8月末にブータンへ行く母の高地トレーニングのためですが、五合目は2300m。高地トレーニングになるかならないかわかりませんが、車で行ける最も高い所の一つということで。
夏休み中なので渋滞必至。中央高速はさほど渋滞もなく順調に河口湖まで。富士スバルラインも順調。しかし、五合目駐車場前2㎞でストップ。ここで車を降りて歩くか、五合目駐車場まで行って、駐車場の順番待ちをするか選択に迫られる。母も歩いてみると言うことで前者を選択。しかしここは富士山。平地を歩くのとは違う。500mほど歩いたところに丁度タクシーがいたので迷わず乗る。すぐに五合目に着いた。降りるといるはいるは、山から下りてきた登山者がごろごろ寝ている。オーバーナイトで山頂を目指し降りてきた登山者がぐーぐー寝ている。富士山は山だが、全国有数の観光地だ。山にのぼる人も本当の山屋ではないのが沢山混じっている。勢いで来たようなグループや、富士登山ツアーバスもいる。子ども会や学校の行事のようなグループもいる。例えば南アルプスの広河原の雰囲気とはひと味違った。

2008年8月7日木曜日

本願寺派キャンポリー無事(?)終了




いや~、キャンポリー終わりました。大会総務部長という役職ではありましたがなかなか思うように動けず、各部の部長さん方にご迷惑をおかけしてしまいました。各部の部長さん方はベテランばかりなのでずいぶん助けていただきました。
始まってキャンポリーが動き始めてから、必要な人員配置や部門わかってきて、その対応に追われました。
シャトルバスの運行時間や交通規制の方法などは最後の最後まで苦労しました。
各団の代表者会議では、本部と各団の意向が合わなくてもめることもしばしば。言った言わないもしばしば。
でも、さんざん意見をいただいていた隊長が、夜店でにこにこ顔で楽しんでいる姿を見てほっとしました。結局、ここに集まった人たちは、スカウティングは大好きで楽しくてしょうがない人たちばかりだったと言うことです。
おかげさまで3泊4日、無事に終わることが出来ました。
次回のキャンポリーはどこかな?会津かな?

2008年7月29日火曜日

いよいよキャンポリー

今日、三島入りしました。キャンポリーは8月1日からですが、前乗りです。行く途中東名横浜あたりで強い雷雨にみまわれました。沼津で高速を降り三島市内へ。時間があったので、柿田川湧水を見学。湧水祭りとやらの準備をしていて、あわただしかったです。ラッキーだったのは、2号湧水のところで、下の湧水をポンプアップして飲めるように汲み上げていました。たまたまペットボトルを持っていたので、ヴィッテルをすてて、柿田川ミネラルウォーターを入れました。
その後、箱根の里に行きました。そこでもう一度雷雨!。そうそうに引き上げました。キャンプ中雷雨は来てほしくありません。落ちたら怖いし、雨でサイトがぬかるのも嫌だし。どうぞ良い天気でありますように。

2008年7月27日日曜日

佐々木久子さんを偲ぶ会


雑誌酒の編集長佐々木久子さんが6月28日ご往生された。佐々木久子さんとは築地本願寺の「築地本願寺新報」の編集をしているとき、連載されていた「あまから抄」を通じていろいろお世話になった。直筆の原稿は達筆で苦労させられた。年に何回かの編集部との宴席では元気よく酒の蘊蓄を語られていたが、いまはもう聞くことは出来ない。もっとしっかり聞いておけば良かった。
武蔵野大学のエクステンションセンターで「酒にまつわる蘊蓄学」と言うのを開講されていた。7月23日、その関係者が集まり偲ぶ会が開催された。おじゃました。
グリーンホールで法要が営まれ、遠山久敬さんのご法話をいただいた。おわりに妹さんの佐々木澄江さんが元気な姿でお見えになり、しみじみと挨拶された。
席を替えて偲ぶ会のお下がりをいただく。基本的に酒が好きな方ばかり、それに加えて、良い酒ばかりが集まった。大宴会になった。たぶん久子さんもお慶びだったろう。帰宅深夜12:30。

2008年7月21日月曜日

もうすぐスカウトキャンプ


もうすぐ、本願寺派スカウトキャンポリーです。全国から浄土真宗本願寺派のボーイスカウト、ガールスカウトが静岡県三島市に集まります。とても楽しみです。天候に恵まれ、良いキャンプが出来るよう頑張りたいと思います。

期間は8月1日~4日までですが、スタッフなので何と7月29日入りです。ずいぶん前からの準備です。しかし、直近になって大慌てすることが多くなってきました。シャトルバスのこととか、資材や設営の経費とか、心配なことが山積みです。うまくいって欲しいです。
明日も東京で会議です。

2008年7月14日月曜日

ラジオ放送聞き損ねた

先日来ラジオ放送の取材があったのは、ご報告の通り。jwaveの『タイム・フォー・ブランチ はなの東京散歩』は7/13の11:40頃からに放送された。この日はお盆中の日曜日とあって寺は参拝者でてんてこ舞い。私はお盆の外勤中。ラジオ放送どころではなかった。ニッポン放送の「高嶋ひでたけの特ダネラジオ 夕焼けホットライン」は7/10に放送されたらしい。この日はスカウトのキャンポリーの下見で三島に行っていた日。放送を聞こうとしてラジオを持っていきましたが、すっかり聞くのを忘れていました。
と言うことで、『タイム・フォー・ブランチ はなの東京散歩』の方は番組のホームページ、「東松原」に正法寺が紹介されていますので見てください。

2008年7月13日日曜日

お盆中です


お盆中にご門徒のお宅にお参りに行かせていただく。一日に10件以上のお家にお伺いする。どこのお家にお伺いしても茶菓で丁重にもてなしてくれる。有り難いことだが、お腹一杯の時もあるが折角のことなので出来る限り戴くことにしている。一日で何をどのくらい食べるのだろうかと書いてみた。写真の通りである。これに加えて、寺を出る前に野菜中心の朝食、夜に帰って夕食を食べた。我ながら感心する。
健康のためにお菓子を断る事も必要かと思うが、暑い中、菓子を買いに出向いて、菓子を選び、用意していただいていると思うとなかなか断れない。 

2008年7月6日日曜日

BMW5erとアリストとベンツeクラスとジャガーxjクラス

今日はお盆前の週末で、ご法事が立て込んで、最後は八王子まで外勤。帰りは少しでも早く帰ろうと思って、中央高速を走ることにした。うっかりしていた。今日は土曜日。行楽帰りだろうか東京に入る上りは事故もあって大渋滞。のろのろ運転が続いた。
こう言うときは必ず、交通ルールを守らないお行儀の悪い、自分勝手な無法者が現れる。路肩走行である。路肩は車がちょうど走れるくらいの広さがあるが、緊急車両などが通るために必ず開けておかなければならない。
あんのじょう、今日も現れた。こういう自分勝手なズルをする車種に傾向がある。きょうは「BMW5er」と「アリスト」と「ベンツeクラス」と「ジャガーxjクラス」が順番に行った。こういう車種に乗っている人が、ズルをする。ちょっと小金が手に入って、その成功を高い車を買って世間に知らしめたいという生活レベルの方々である(ちょっと言い過ぎか?ゴメンナサイ)。ビッツやパジェロminiはこんなことしない。

私は「ルール違反ですよ」と言う意味でクラクションを鳴らす。それらの輩は別に恐縮するわけでもなく知らん顔で通り過ぎていく。が、その先に見えたパトカーの赤色灯(それもダミーの赤色灯)を発見するとあわてて斜線に戻ってくる。あ~みっともない。

こういう交通ルールも守れない輩が、会社の社長や役員をしてるんだから、汚職や横領が横行するのは当たり前だろう。こういう輩は定年で役職がなくなると、物の見事に抜け殻になる。役職や特権にしがみついてきた人世はあわれである。だから、天下りをして、いつまでもそれを求めている。うらやましくもなんともない。哀れである。

自分を支えてくださっているのは、阿弥陀さまであること、信心に支えられた人世は、いつまでも支えてくださる。ありがたいことだ。

今日はちょっと言い過ぎたかも。ご寛容下さい。

交通ルールを守りましょう。

2008年7月3日木曜日

ラジオ局から2件


相次いで、ラジオ局から取材の申込みが2件あった。どうやら拙寺のホームページがヒットしているのだと思う。どちらの番組も「お散歩」とか「街角紹介」のような番組。前はこういう取材、特に写真が出たり、声が出るのは恥ずかしいので。何か理由をつけて断ってきたが、最近は積極的に出ようと思う。何か宣伝にもなるし。

取材に来た番組は先ずは
FM放送のj-waveの日曜お昼の番組『タイム・フォー・ブランチ はなの東京散歩』。モデルのはなさんが本当に来た。東松原から明大前あたりのお散歩らしい。はなさんが本堂の外観を説明して、堂内に上がって、お焼香をしながら堂内の雰囲気を説明していた。私も拙寺の由来や外観の説明で録音された。放送は7月13日(日)だと思う(お盆中だ!)。
実ははなさん、仏像鑑賞が趣味で、「おおきなぶつぞうちいさなぶつぞう」と言う本もだしているほど。朝日新聞 西日本夕刊 では「はなの縁」という仏像鑑賞散歩の連載をしていた。
前に奈良の五劫院というマイナーな寺にお参りに行ったとき、はなさんが来ましたと張り紙があり「おっ」と思ったことがあった。「普通ここは来ないでしょう。来たの?・・」

次はAMラジオのニッポン放送。こちらもタウン情報としての取材だそうだ。実は取材はまだ来ていない、8日に来る。これは、声の録音は無くて取材だけだそうだ。取材内容をアナウンサーが話してくれるのだそうだ。

番組は「高嶋ひでたけの特ダネラジオ 夕焼けホットライン」月~金の15:30~17:24までの帯番組。現段階ではいつ放送かわからない。わかりましたらアップします。


もう一つおまけ、フジテレビだったと思いますが、何かの再現フィルムだと言ってましたが、法事のシーンを撮りたいと連絡がありました。が、空いていたら受けたんですが、あいにくご本山にいく日だったので、やむなく断った。

マスコミ関係の方、空いていましたら出ますのでよろしく。

2008年7月1日火曜日

すゞの樹 vol.2






            すゞの樹 vol.2 しょっちゅう行く割には写真がないことに気付いた。と言うことで、すゞの樹店内写真。トーマスこととし君とそのおかあさんの写真です。親子2人でやっている良いお店です。と言っても、ご覧の通りとし君は軍服姿。今日はドイツ軍のようだ。米軍や伊軍の時もある。ここは軍装品マニアと音楽マニア(私はこっち)が集まるので、カウンター全員が「男」なんて日もめずらしくない。それでみんな楽しい。マニアだ!

Cafe de Shinran 最後の夜  「広める」?「深める」?


去年の9月21日オ-プンした築地本願寺境内の「Cafe de Shinran」。最初は12月までだったけど、惜しまれてこの6月まで営業した。写真は6月30日最後の夜。スタッフ関係者による最後のパーティー。私も誘われたが、別の宴席があって泣く泣く不参加となった。築地町内で宴会だったので、せめて近くまで行って、記念撮影。

Cafe de Shinranの存在で築地本願寺にとっても、今までお寺に足が向かなかった方たちがたくさん来てくれたことはとてもプラスになったと思う。そこで、お寺からの情報をたくさん発信できたし、こんなに興味を持ってくれるのかと、こちらも驚いた。伝統的な布教方法も大切だけど、こういう形の布教方法も有りだと思う。この方法は「伝道院」では教えてくれないし、そもそも教える人がいない。お寺以外も方たちの考えや発想は素晴らしかった。

こういう、仏教を「広める」事を進めていると、必ず仏教を「深めたい」人たちから意見が出る。どこの会議に行ってもこの二極がぶつかる。いまは何をしているのか、それを認識してから事を進めないと意見がぶつかっておしまい、と言うことになる。

Cafe de Shinranも「深めたい」人たちから意見が出た。12月にやった「東京ボーズコレクション」もいまだに認めない御仁がいるとか聞こえてくる。これこそ仏教に縁の無かった人たちに仏教をアッピールしたし、こちら側も仏教に興味のある人がこんなにいるんだと思った。これを通して「仏教に興味を持った」、「仏教っていい」という感想をもった若い人がたくさんいた。
今年行けなかったひとが「次回はいつやるのか」、「ボランティアで参加したい」と言う問い合わせが沢山あった。開催スタッフ側では次回のテーマ「末法で行こう」が密かにささやかれていた。が、「深めたい」側の意見が強く、次回の開催は無いという。
築地本願寺の「広める」企画をしていた担当部署も人員が削減した。これから、どうなるんでしょうか。

これからは、和田堀廟所が面白くなります。フフフ。

2008年6月28日土曜日

白象の貯金箱

写真のような白象の貯金箱を作りました。以前父が作ったものの復刻です。父が作った象は背中のマークが「卍」でしたが今度は「法輪」にしました。
一応1個500円の懇志でお分けしています。何かの記念品やお扱い品に使っていただければと思います。
在庫たくさんあります。
注:箱に書いてある「東京都仏教連合会推薦」の文字はありません。
この象の貯金箱が世界中に広まればいいなあと思っています。


2008年6月21日土曜日

正法寺のキャンドルナイト

本日6/21 正法寺でもキャンドルナイトをしました。午後8時に境内庫裡の照明を消灯、ロウソクを点灯しました。庫裡の廊下、玄関、境内などにロウソクを置きました。本堂の裏を電車が通っているので、キャンドルナイトのアッピールを含めて、線路から見えるところにもロウソクを置きました。電車からもこの火が見えているはずです。
参加者は家族。境内に出したテーブルの火を囲んで、ひとときの時間を過ごしました。なかなか良いものでいろいろな話しが出来ました。これで良いんです。
キャンドルナイトは省エネや環境へ思いを馳せることも大事ですけど、参加者同士、家族同士の縁(関わり合い)を大切にし、またそれを一層深めていくことが目的だと思います。灯のそばにいると、よけいな風景は暗くて見えないですし、近くにいる人だけが見えます。雑事を忘れ語り合うことが良いんです。平和、共生、理解、しあわせの始まりです。

10時が近くなった頃雨がぽつりぽつり来ました。そこで野外のキャンドルナイトを終了しました。またやってみたいと思います。

2008年6月20日金曜日

戸塚のキャンドルナイト



戸塚の善了寺さんで行われたキャンドルナイトに行って来ました。平和の火の法要(福岡県星野村から原爆の火を採火)、トークセッション、コンサートの三部構成。トークセッションには100万人のキャンドルナイト提唱者の明治学院大学の辻先生、本願寺布教使の阿部先生、ラダック出身ジュレーラダック代表のスアカルマさん、善了寺住職の成田先生。
トークセッションでは、何故日本が、ラダックがだめになったか、ブータンは何故幸福なのか等の話しがされ、平和、環境を考えさせられるキーワードを沢山頂いた。
コンサートはネパール出身のミュージシャンによる弾き語り。寺の裏山で、キャンドルをいっぱい灯して、キャンドルの明かりの中で行われた。 帰り、戸塚の駅前の鳥やさんで一人で反省会。キーワードを忘れないように書き留めた。明日が、100万人キャンドルナイトの日。家でも何かやろう。

2008年6月18日水曜日

サボテンの花


今年もサボテンの花が咲き始めました。例年より早いような気がします。なんと言う名前のサボテンかいまだにわかりません。夜(それも深夜)に白い大きな花が咲きます。香りはありません。一晩で終わりですが、次々に咲いていきますので、必ず1-2輪は咲いています。幹も年々育つのでどんどん大きくなっていきます。どこまで大きくなるんでしょう。

温暖化でサボテンも良く育つのでしょうか?そういえば今年は興味本位で種を埋めたら芽が出たアボガドの木がよく葉を茂られています。これも大きくなりそうです。温暖化でしょうか?

2008年6月11日水曜日

全日本大学野球選手権大会、龍谷大学出場!










全日本大学野球選手権大会に母校龍谷大学(関西六大学代表)が出場しました。初日の今日、早速試合があり、東京ドームに応援に行ってまいりました。一塁側に陣取った龍大応援席には、全国金賞の吹奏楽部と関西金賞グランプリのチア部が京都から来ていました。関東在住の龍大OBの姿も数多く見られました。お寺関係では、三軒茶屋の前住職、船橋市の住職、三島市の住職と衆徒さん、伊興町の住職、もちろん龍大若原学長、校友会関東支部長代行西来さん、関東支部役員さん4名。等沢山でした。
対戦相手は愛知大学連盟代表の「中部大学」。試合は延長10回、3対4で惜しくも負けました。序盤で得点した3点を守りきれませんでした。残念です。
試合終了以後吹奏楽部の演奏で歌った学歌は、東京ドームに響き渡り、涙が出そうでした(出ました)。
東京では龍谷大学の名前がなかなか広まりません。もっともっと誇り高き龍谷の名を全国に広めようじゃありませんか。今回試合には負けましたが、東京ドームで活躍し、学歌を歌わせていただきました。まことに誉れであります。野球部諸君良くやったと思います。

2008年6月5日木曜日

龍谷大学校友会東京支部総会

昨日龍谷大学校友会東京支部の総会でした。会場はNHKの青山荘。参加者は少な目の20名。しかし、思いがけない接点で始めて会う方とつながっていたり楽しい会でした。
本学からは、三村校友会会長、増田事務局長、神奈川県支部からは石黒様、龍谷大学東京オフィスからは藤原課長と豪華な顔ぶれがそろいました。
懇親会の最後には恒例の学歌斉唱で閉めました。今年の学歌はカセットテープ音源ををデジタル化してIPODに落として、会場のマイク入力に入れて再生しました。うまくいきました。青山荘の方へ、勝手なことしてすみませんでした。

2008年6月3日火曜日

六曜を気にしますか?

日の良し悪しを言う「六曜」(先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口)を気にする方がいて困りました。
先日久しぶりに京都で会議でした。今回は浄土真宗の本山での会議ではなく、各宗派のお坊さん方が集まる会議でした。会議はまあまあ順調に進みましたが、次回の会議日程を決めるときになって、いくつか出ていた日程案について、ある宗派のお坊さんが「この日は大安だから慶事が入ってくる」「この日は先負・・」「この日は・・」と言い出す始末。結局次回会議日程がなかなか決まらず、司会の方が、「出られる人は出てください」ということで決めてしまいました。公式の場でこんなに六曜を言う方ははじめてでした。
日の良し悪しを気にして、自分の行動を狭めるばかりでなく、周りの人まで迷惑をかけていることに気がつかないのでしょうか?六曜を沿った行き方をするのがその宗派の教えなのでしょうか?よくわかりませんが。
私、六曜を使わない浄土真宗で良かったと思いました。浄土真宗は、深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷やまじないを行わず、占いなどの迷信にたよらないのが宗風ですから。

2008年5月27日火曜日

久しぶりに仏教情報センター

今日は久しぶりに仏教情報センターテレホン相談へ。午前10時から午後4時まで電話は鳴りっぱなし。いろいろな質問がある。人生相談、病苦、人間関係、法事のお布施、寺院とのトラブルなど多岐に亘った。こういう所に一日いると、ご門徒の方々は何をどのように悩み、何がわからないのか、何を聞きたいのかがよくわかる。お寺が伝えたいことと、お寺からききたいことのギャップは大きい。これになかなか気が付かない。このギャップを埋めないと、お寺の存在意義が無くなる。社会に貢献しない寺はだめだ。お寺はただの町の風景ではない。と、自分に言い聞かせる・・・。

2008年5月17日土曜日

遅ればせながら「冬ソナ」

遅ればせながら「冬ソナ」を全部見ました。隣の奥様がDVD貸してくださいました。全7枚。DVD1枚に3話入っているので、結構な時間がかかりました。
世の奥様方が韓国ドラマにはまるのがわかりました。見出すと止まりません。
純愛ドラマで、台詞も少なく、画面の構図もきれい。日本のテレビドラマとはずいぶん違いました。

何か久しぶりにきれいなものを見たと言うのが感想です。結末はどうなるのかと思って期待していましたが、意外とあっさりで、これで終わり?このあとどうなるの?続きがありそうな終わり方でした。

お陰で睡眠不足と昼間も仕事がすすまない数日が続きました。奥様方がこれにはまると、睡眠不足と仕事が手に着かないのがずっと続くのでしょうか?

2008年5月6日火曜日

足あと(仏足石?)


仏足石ならぬ、足形を作った。

仏足石とは、まだ仏像が出来る前、あたかもここに仏がお立ち下さっていると言う印に足形を石に刻み、それを礼拝した。世間では、良く手形をインクで押したりするが、仏教徒はやはり足形でしょうと言うことでこうなった。

足形を作ったのは、実は初めてではない。2回目である。

前回は材料費をけちって、一番安いブロンズ粘土で作った。ブロンズ粘土は細かいところまでディテールが再現されとてもリアルなのだが、唯一欠点があった。それは乾燥時に収縮することであった。気が付かなかった。

アメリカのハリウッドに行くと有名スターの手形があるらしいが、そこに行ったレポーターさんがよく「○○さんは意外に手が小さいです」なんて言っているのを聞いたことがある。ハリウッドの手形もおそらく収縮する材料でやっているのだと思う。

そこで今回は白い樹脂系の粘土でやってみた。収縮はほとんどなくきれいに出来たが、しなやかな粘度で細かいところの再現力はブロンズ粘土の方がまさった。しかし、きれいに出来、白いと言うところが好感が持てる。

この仏足石ならぬ、しら足石、おそらく私が死んでも残ると思う。13代目の住職の足はこういう形をしてたんだと思ってくれればと思っている。また逆に、こんなものまで作って、どれだけこの世に執着していたんだろうと思うかも知れない。どっちでもいい。この世に生きた印として足あとを作った。


皆様もいかがですか?なかなか良いもんですよ。

2008年5月2日金曜日

ホラー映画



















映画8本、DVDで見た。昔の白黒時代のホラー映画、フランケンシュタイン、フランケンシュタインの花嫁、ドラキュラ、透明人間、ミイラ男、狼男、吸血鬼、半魚人みんな1930年40年代頃の作品。コンピューターがないけど特撮はなかなか良くできている。ストーリーは複雑で登場人物の関係を理解するには相当時間がかかる。(作品の時間も長いが)。
後日、大人の人とこんな映画を見たと話すと、結構見ている人が多く、有名な場面を覚えていたりして驚いた。みんな見ていたのである。時代が移って、まんが「怪物くん」に出てくる、フランケン、ミイラ男、オオカミ男、ドラキュラ、の絵は、これらの映画が現形だろう。
多くのホラー映画の礎を築いたこの時代の映画人に拍手を送りたい。今なお色あせない作品だと思う。

2008年4月23日水曜日

すゞの樹




「すゞの樹」にはたびたび行く。


ここは銀座のバー。と言っても、ホステスさんがいて「お一つどうぞ」という店ではない(こんな店もう無い?)。席数は9か10。お母さんと息子さんでやっている。店ではママとトーマス。トーマス君は銀座の「銀実会」にも入っている由緒正しき店。


この店は2つの顔がある。一つは軍装品軍事マニアの店。(トーマス君は毎日世界各国の軍服を日替わりで着ています)。もう一つは音楽マニアの店。私はどちらかというとこっち。大きな液晶TVがあって、めずらしかったり、懐かしかったりする洋ものDVDを見ながら、蘊蓄を垂れながら飲む。このあいだは久しぶりにエルビスのアロハ・フロム・ハワイ(1973)のDVDを見た。やっぱりかっこいい。エレキギターも置いてあるので、画面に合わせて弾くまねをしたり・・。


気を遣わずにゆっくりいられるし、こんなのが聞きたいとリクエストすると次回までに用意していてくれる。盤を戴くこともしばしば。お陰で家には、盤がいっぱいでDVDコンサートが出来るくらいです。


また行こ。

2008年4月17日木曜日

みやざきホスピタルビハーラの会





今日は朝から曇り空。午後から雨になる天気予報が出ていました。

そんな中、みやざきホスピタルビハーラの会に出かけました。みやざきホスピタルは篤信の宮崎幸枝先生が理事長を勤める精神科の病院。毎月ビハーラの会という法話会が病院の中で開催され、法話のあと、仏壇のある和室で座談会をします。ご聴聞に来られている方は入院患者さんと職員さん方で、入院が長い方は当然ご聴聞の回数も多いのでいろいろなことをご存じです。

久しぶりに行きましたがもうこの法話会は160回以上を数えていました。

今日は早めに着いてしまったので、菜の花がきれいに咲き、ひばりがピーチクパーチク、小川がせせらぐ良いところがあったので、ちょっと休憩(みやざきホスピタルは茨城県稲敷市にあります)。東京では味わえないひとときを過ごしました。

約40分くらいお話しさせていただきました。皆さん熱心にご聴聞されています。もちろん宮崎先生も。座談会ではいろいろな質問が出ます。初めてのビハーラの会に出られたというより、初めて法話を聞きましたと言う方も方も入院患者さんと職員の方のにそれぞれいらっしゃいました。初めての方でも、意見や質問をされました。お寺じゃないということか、宮崎先生のお人柄なのか、みなさん思ったことは素直におっしゃいますし、わからないことはお尋ねになるります。無駄な力が入ってない姿だなあと思いました。私なんか、毎日無駄な力が入りっぱなしです。

2008年4月12日土曜日

マツダの電球


 先日、旧岩崎邸を見学いたしました。ネットで旧岩崎邸のことを検索していたら、屋根裏からマツダ社製の電球が見つかったという記載があって、さすがに古いものが残っているんだなあと思っていました。

 その矢先、拙寺の本堂の金燈篭の電球が切れました。交換をした記憶があまりない燈篭でした。普通に燈篭の扉を開けて、電球を交換しました。100V-20Wという小さな電球です。長いこと使っていたようでずいぶんと汚れていました。

 ふと切れた電球を見ると、なんと「マツダ」と書いてあるではありませんか。旧岩崎邸と同じ会社の電球が使っていたとは何とも驚きです。

 これまたネットで調べてみたら、「マツダ」は東芝電気の前身で、1962年(昭和37)に「マツダ」から「東芝」に社名を変えたことがわかりました。
 ということは、この電球「マツダ」の最後期型としてもなんと「46年」経っていることになります。私が6歳の頃から本堂の金灯篭の中でともっていた電球と言うことになります。何という長寿電球でしょう。

 最近の電球は寿命が短いですし、寿命が長いという電球型蛍光灯でもこんなに保たないいでしょう。
昔の製品は良くできていたんですね。感心します。良いものを作ろうという姿勢だったんでしょう。

 最近では、儲けるために、適当な時期に壊れるように最初から作っているようなことを聞きます。なんということでしょう。こんな心がけで良いんでしょうか。仏さまは見ていらっしゃいます。

 いつまでも長持ちする良いものを作りましょうよ。

2008年4月4日金曜日

旧岩崎邸庭園



旧岩崎邸庭園に行って来た。何故今頃かというと、社寺建築で実績のある、松井建設(松井リフォーム)が、この岩崎邸の修復を担当し、このほど完成したため、是非見てくれというので見に行ってきたと言うこと。


明治29年建築のイギリス風洋館。三菱財閥の迎賓館として建てられた、非常に贅を尽くした建物である。敷地は広大で、この洋館の他、和館、と山小屋風ビリヤード館の3つが建っている。以前は敷地も建物ももっと広大だったが、切り売りして現在の大きさとなっている。内装は金唐紙とよばれる豪華な壁紙が使われ、木部の部材も良いものがふんだんに使われている。


特別に、二階の屋根裏から屋根の上まで見せてもらった。屋根裏といっても人が立って歩ける広さで木組みの様子がよくわかる。屋根裏には水槽があって、水洗便所の水タンクだったようだ。屋根はスレート葺き。このスレートは硯石に使うものだそうだ。

地下室も見せてもらった。地下室はもちろん一般公開してないので修復してなく、汚れ放題埃っぽくオリジナルのままであった。係りの方は、進駐軍が使っていた時代ここで拷問をしたかもしれないといっていた。

歴史的な良い洋館だが、周囲の建物がどんどん高層化し、写真を撮るのにいたって邪魔であった。特に東大病院。


日頃築地本願寺(昭和10年落成)を見ているので、似たような造りが沢山あって大きな感激はない。階段の手すりのとり回しなど、築地本願寺の方が良くできている。

普段感じないが文化財級建物にひごろから、ずかずか入っている幸せ者と言うことになるのだろうか。


もし、大谷光瑞さんが六甲山に建てた「二楽荘」が現存していれば、この旧岩崎邸より素晴らしいものであったに違いない。

2008年4月1日火曜日

「入竺」「入蔵」


インドへはたびたび行った。

インドに行った方の文章を読むと、印度に渡ると言うことからか「渡印」と言う表現をする方がほとんどだ。アメリカに行くことを「渡米」、イギリスに行くことを「渡英」とか言うのだから、それに習ったのかもしれない。

私はインドに行くことを「入竺」と言う。「天竺に入る」と言う気持ちだ。何かとても大きなものにいだかれ、包まれ、そこに入ったという感覚である。ただ単に、海を渡って、行く、という言葉では表現できないものがあると思う。
昨年、チベットに行った。チベットは「西蔵」(シーザンと発音する)という。「蔵」の一文字でも「チベット」をさす。

チベットに行く前に会議の案内があった。返信に「入蔵」の予定があるので欠席します。と書いたら、酒飲みの事だから、どこかの「蔵」にはいるのかと思ったと言われてしまった。

チベットも大きな所だった、文化も宗教もなにもかも「入蔵」と言うにふさわしい所だ。

同じ仏教徒として、いち早いチベット問題の解決を望む。