2008年4月23日水曜日

すゞの樹




「すゞの樹」にはたびたび行く。


ここは銀座のバー。と言っても、ホステスさんがいて「お一つどうぞ」という店ではない(こんな店もう無い?)。席数は9か10。お母さんと息子さんでやっている。店ではママとトーマス。トーマス君は銀座の「銀実会」にも入っている由緒正しき店。


この店は2つの顔がある。一つは軍装品軍事マニアの店。(トーマス君は毎日世界各国の軍服を日替わりで着ています)。もう一つは音楽マニアの店。私はどちらかというとこっち。大きな液晶TVがあって、めずらしかったり、懐かしかったりする洋ものDVDを見ながら、蘊蓄を垂れながら飲む。このあいだは久しぶりにエルビスのアロハ・フロム・ハワイ(1973)のDVDを見た。やっぱりかっこいい。エレキギターも置いてあるので、画面に合わせて弾くまねをしたり・・。


気を遣わずにゆっくりいられるし、こんなのが聞きたいとリクエストすると次回までに用意していてくれる。盤を戴くこともしばしば。お陰で家には、盤がいっぱいでDVDコンサートが出来るくらいです。


また行こ。

2008年4月17日木曜日

みやざきホスピタルビハーラの会





今日は朝から曇り空。午後から雨になる天気予報が出ていました。

そんな中、みやざきホスピタルビハーラの会に出かけました。みやざきホスピタルは篤信の宮崎幸枝先生が理事長を勤める精神科の病院。毎月ビハーラの会という法話会が病院の中で開催され、法話のあと、仏壇のある和室で座談会をします。ご聴聞に来られている方は入院患者さんと職員さん方で、入院が長い方は当然ご聴聞の回数も多いのでいろいろなことをご存じです。

久しぶりに行きましたがもうこの法話会は160回以上を数えていました。

今日は早めに着いてしまったので、菜の花がきれいに咲き、ひばりがピーチクパーチク、小川がせせらぐ良いところがあったので、ちょっと休憩(みやざきホスピタルは茨城県稲敷市にあります)。東京では味わえないひとときを過ごしました。

約40分くらいお話しさせていただきました。皆さん熱心にご聴聞されています。もちろん宮崎先生も。座談会ではいろいろな質問が出ます。初めてのビハーラの会に出られたというより、初めて法話を聞きましたと言う方も方も入院患者さんと職員の方のにそれぞれいらっしゃいました。初めての方でも、意見や質問をされました。お寺じゃないということか、宮崎先生のお人柄なのか、みなさん思ったことは素直におっしゃいますし、わからないことはお尋ねになるります。無駄な力が入ってない姿だなあと思いました。私なんか、毎日無駄な力が入りっぱなしです。

2008年4月12日土曜日

マツダの電球


 先日、旧岩崎邸を見学いたしました。ネットで旧岩崎邸のことを検索していたら、屋根裏からマツダ社製の電球が見つかったという記載があって、さすがに古いものが残っているんだなあと思っていました。

 その矢先、拙寺の本堂の金燈篭の電球が切れました。交換をした記憶があまりない燈篭でした。普通に燈篭の扉を開けて、電球を交換しました。100V-20Wという小さな電球です。長いこと使っていたようでずいぶんと汚れていました。

 ふと切れた電球を見ると、なんと「マツダ」と書いてあるではありませんか。旧岩崎邸と同じ会社の電球が使っていたとは何とも驚きです。

 これまたネットで調べてみたら、「マツダ」は東芝電気の前身で、1962年(昭和37)に「マツダ」から「東芝」に社名を変えたことがわかりました。
 ということは、この電球「マツダ」の最後期型としてもなんと「46年」経っていることになります。私が6歳の頃から本堂の金灯篭の中でともっていた電球と言うことになります。何という長寿電球でしょう。

 最近の電球は寿命が短いですし、寿命が長いという電球型蛍光灯でもこんなに保たないいでしょう。
昔の製品は良くできていたんですね。感心します。良いものを作ろうという姿勢だったんでしょう。

 最近では、儲けるために、適当な時期に壊れるように最初から作っているようなことを聞きます。なんということでしょう。こんな心がけで良いんでしょうか。仏さまは見ていらっしゃいます。

 いつまでも長持ちする良いものを作りましょうよ。

2008年4月4日金曜日

旧岩崎邸庭園



旧岩崎邸庭園に行って来た。何故今頃かというと、社寺建築で実績のある、松井建設(松井リフォーム)が、この岩崎邸の修復を担当し、このほど完成したため、是非見てくれというので見に行ってきたと言うこと。


明治29年建築のイギリス風洋館。三菱財閥の迎賓館として建てられた、非常に贅を尽くした建物である。敷地は広大で、この洋館の他、和館、と山小屋風ビリヤード館の3つが建っている。以前は敷地も建物ももっと広大だったが、切り売りして現在の大きさとなっている。内装は金唐紙とよばれる豪華な壁紙が使われ、木部の部材も良いものがふんだんに使われている。


特別に、二階の屋根裏から屋根の上まで見せてもらった。屋根裏といっても人が立って歩ける広さで木組みの様子がよくわかる。屋根裏には水槽があって、水洗便所の水タンクだったようだ。屋根はスレート葺き。このスレートは硯石に使うものだそうだ。

地下室も見せてもらった。地下室はもちろん一般公開してないので修復してなく、汚れ放題埃っぽくオリジナルのままであった。係りの方は、進駐軍が使っていた時代ここで拷問をしたかもしれないといっていた。

歴史的な良い洋館だが、周囲の建物がどんどん高層化し、写真を撮るのにいたって邪魔であった。特に東大病院。


日頃築地本願寺(昭和10年落成)を見ているので、似たような造りが沢山あって大きな感激はない。階段の手すりのとり回しなど、築地本願寺の方が良くできている。

普段感じないが文化財級建物にひごろから、ずかずか入っている幸せ者と言うことになるのだろうか。


もし、大谷光瑞さんが六甲山に建てた「二楽荘」が現存していれば、この旧岩崎邸より素晴らしいものであったに違いない。

2008年4月1日火曜日

「入竺」「入蔵」


インドへはたびたび行った。

インドに行った方の文章を読むと、印度に渡ると言うことからか「渡印」と言う表現をする方がほとんどだ。アメリカに行くことを「渡米」、イギリスに行くことを「渡英」とか言うのだから、それに習ったのかもしれない。

私はインドに行くことを「入竺」と言う。「天竺に入る」と言う気持ちだ。何かとても大きなものにいだかれ、包まれ、そこに入ったという感覚である。ただ単に、海を渡って、行く、という言葉では表現できないものがあると思う。
昨年、チベットに行った。チベットは「西蔵」(シーザンと発音する)という。「蔵」の一文字でも「チベット」をさす。

チベットに行く前に会議の案内があった。返信に「入蔵」の予定があるので欠席します。と書いたら、酒飲みの事だから、どこかの「蔵」にはいるのかと思ったと言われてしまった。

チベットも大きな所だった、文化も宗教もなにもかも「入蔵」と言うにふさわしい所だ。

同じ仏教徒として、いち早いチベット問題の解決を望む。