2011年12月27日火曜日

スカウト仏教章修得講習会



今年も静岡県三島市箱根の里での恒例の仏教章修得講習会に行って来ました。今年は「お釈迦さま」についての講義を担当しました。例年にない寒さの中33名のスカウトが講習会に参加してくれました。毎年思うことですが、高校生年代のスカウトが仏教の教えに親しんだり、興味を持ってくれることは大変ありがたいことだと思っています。最近の若者もなかなかやってくれます。まだまだ日本は大丈夫です。

この講習会に参加したスカウトは、「仏教とは生きるための教えだ」ということを知ってくれたと思います。

「仏教は死者のためのもので、死者を弔ったり、慰めたりするためのものだと思っている」ほとんどの大人達よりも正しく仏教を理解してくれたと思います。

写真は講習会と朝食です。


2011年12月19日月曜日

胃カメラ・大腸鏡終了

健康診断に続いて、胃カメラ、大腸鏡検査が終了しました。毎年のことなので慣れているつもりでした。胃カメラは前日の9時までは飲食可能なのでさほど制限があるとは感じませんでした。
しかし大腸鏡は手強い物で、前日朝食から消化の良いもの繊維質のない物のみという食物制限があった。実際には素うどん、お粥、バーターなしのパン等でした。量の制限はないものの午後7時までに夕食を済ませ、水分は飲んでも大丈夫ですが、翌日検査が終わる午後まで絶食になります。
当日は朝から腸の洗浄剤を時間をかけて2リットル飲み、便が透明になるまで飲み続けます。この洗浄剤が手強くて、最初はぐびぐびいけるんですが、だんだん苦しくなってきて思うように飲めなくなります。
今回は午前9時に行って、11時頃までかかって2リットルのみ、検査が始まる午後2時前にようやく透明な便になりました。
大腸鏡検査自体はそんなに苦しい物ではありませんが、検査のため腸内に空気を入れるので、それがおなかパンパンになって、家に帰ってもすべての空気は抜け切りませんでした。空気はおならのようになって出てきます。
検査結果が正式にでるのは一週間後くらいですが、簡単な説明ではまあ大丈夫ですと言うことで、小さなポリープがあったのでとっておきました、ということでした。
帰り際に、お医者さんは「今日ぐらいは晩酌をやめておいてください」と。大腸鏡検査の注意書きにはポリープを取ったときは一週間の禁酒、遠出、激しい運動は禁止とありました。どういうことなんでしょうか。

また来年行きます。

2011年12月12日月曜日

定期健康診断

定期健康診断が終わりました。今日その結果を聞きに行ってきました。
結果はおおむね良好でしたが、問題ありは尿酸値が高い事でした。発作はまだでていませんが、出てもおかしくない数値だそうです。。
昨年の検査で尿酸値が平常範囲に収まったので、ビールを結構飲んでいました。これが原因でしょうか?
また、禁ビール生活の始まりです。
今年中に胃カメラと腹部CTと大腸鏡の検査をします。

2011年11月17日木曜日

ブータン国王夫妻来日

ヒマラヤの麓、ブータン王国の新国王夫妻が来日しています。おそらく結婚後はじめての公式の外国訪問だと思います。それを日本にしてくれたことは本当に嬉しいことです。皇居、国会周辺や宿泊されている赤坂迎賓館の周辺にはブータン国旗と日本国旗が紅葉した街路樹の中に掲げられています。
日本でブータンの国旗を見ることはほとんどありません。私もブータンに行ったとき見たのが最後だったとおもいます。紅葉の中のブータン国旗、その風景はブータンの国にいるような錯覚にも陥りました。

ブータンはとても良い国です。仏教国です。新国王になって立憲民主制になったとはいえ、仏教の教えに基づいた生き方は変わらないとおもいます。ブータン王国のますますの隆盛を心から念じてお祝い申し上げます。

2011年11月10日木曜日

白象貯金箱がインド料理店に


うちで作った白象貯金箱がよく行くインド料理店のキャッシャーのところに置かれていました。以前に手土産で社長にプレゼントしたのですが、家に持って帰っていてお店にはありませんでした。しかしつい最近その貯金箱が現れました。背中に「金募」と漢字で書いてあります。本人は「募金」のつもりだそうですが逆になっています。募金は東北の震災に送るそうです。白象が活躍しているとうれしくなります。(白象はまだたくさんうちにあります)

2011年10月27日木曜日

あそか園法話会

東京江東区にあるあそか病院に併設されている、特別養護老人ホームあそか園の10月の法話会に行ってまいりました。これは築地本願寺の「東京ビハーラ」の活動の一環で毎月講師が派遣されています。
久し振りの出講でしたので時間よりずいぶん早くついてしまい係の方にご迷惑をかけてしまいました。
法話会は利用者の方と職員の方とあわせて50人くらいの参加だったでしょうか。「らいはいのうた」をお勤めしてそのあとご法話をさせていただきました。法話のあとは「旅ゆく親鸞」を全員で合唱して終わりました。皆さん真剣に聞いてくださるので嬉しかったことです。

ちなみに、あそか病院は、大正12年9月1日の関東大震災が発生したあと西本願寺が東京の日比谷公園に設けられた救護所の医療活動があそか病院の前身となっています。その中心になって救護活動をされたのが九条武子夫人でした。

2011年10月24日月曜日

法然と親鸞 ゆかりの名宝展 開会式・内覧会


明日から東京国立博物館(TNM)で開催される「法然と親鸞 ゆかりの名宝展」に先立ち本日24日、関係者を招待しての開会式・内覧会がありました。私も招待を受け行ってきました。
開会式では主催者の東博、NHK、朝日新聞の挨拶と、浄土宗と真宗教団連合を代表して本願寺派総長橘氏が挨拶しました。その後、関係者合同でテープカットがあり、展覧会が開幕しました。
本願寺派からは、ご門主様、お裏方様、新門様、総長、総務、宗務首都圏センター長、総局秘書、東京教区北組組長、築地本願寺伝道学事部長などのお顔が見えました。
展示は浄土宗と浄土真宗の宗派各派から出展された珠玉の名宝があり、見終わったときのはもうお腹一杯でした。

特に感動したのは出品番号155番「山越阿弥陀図屏風」(京都金戒光明寺蔵)でした。数多くの展示物は礼拝の対象であったり、美術工芸品、歴史的真筆でありましたが、これは、阿弥陀仏の手から五色の糸が結ばれた跡があり、今まさにいのち終わろうとする人と、この屏風図の阿弥陀如来の手を五色の糸で結ぶ「臨終行儀」に使われた屏風でありました。これは往生浄土の現場、いのちの現場で使われたものでした。
これで何人の方が救われていったのかなと思うと手を合わさずに入られませんでした。
が、浄土真宗は「臨終来迎」ではなく「平生業成」なのでこれは使いません。

2011年10月14日金曜日

書院が完成、本堂解体へ



正法寺の書院が完成し、10月から本堂の解体が始まりました。コンクリート造なので重機で解体です。53年間建っていた本堂がみるみる瓦礫になっていきます。本堂の正面にあった法輪もはずされました。当初、どこかに付ける予定はなくそのまま廃棄になるところでしたが、なかなかの造りをしているので保存、再利用の方向になりました。取り外す際、一部破損しましたが修復可能です。
新本堂のどこかに取り付けようとおもっています。

2011年9月3日土曜日

母が往生いたしました


7月25日母が亡くなりました。81歳でした。

今年の2月に胃が痛いのがなかなか治らないと言うことで、医者に行きましたら、膵臓癌と言うことがわかり余命6ヶ月といわれました。医者の言うとおり6ヶ月で逝ってしまいました。幸い我が家では母を看るものが何人かいるので、入院することなく家で療養していました。これといった治療はしなく、ただ痛み止めの薬を使って痛みへの対応をしていました。膵臓癌が大きくなると胃や十二指腸を圧迫するので食べ物が入らなくなっていき、ずいぶん痩せてきました。妻は少しでも食べてもらおうと小さく刻んだり、食べたいものをきいては作っていましたが、なかなか食べてもらえないので残念がっていました。母も食べたいのでしょうが食べられないつらさ、食事の時間が来る事へのつらさもあったかもしれません。亡くなった後、母のメモ帳があって、たどたどしい字で、妻が食べやすいように作ってくれるのでとても有り難いと書いてありました。でも、この時期、食べたくても食べられない頃だったような気がします。

最後のひと月くらいは容態が悪くなって入院しました。栄養剤の点滴と酸素吸入だけになってしまいました。酸素の入る量も少なくなってくると苦しそうでした。見舞いに行っても何もすることはありません。体をさすったり、手を握ったりするくらいであまり反応も無くなってきました。本人ももうろうとしていて会話が成り立ちません。携帯電話を持っていたので、夜中に筑波山にいるとか、三島のホテルにつれてこられた、迎えに来てくれなど、幻覚とも取れる発言がありました。そんななかでも会話が出来ることがありました。わかるかどうか不安でしたが「じゃ帰るよ」といったとき、「気をつけて」と私を案じてくれました。思いがけない言葉に驚きました。自分のことだけで精一杯のはずなのに私を案じてくれるなどいつまでも母なのかなあと思いました。

母とはいろいろなところに行きましたが、昨年はインド旅行にも行きとても元気でした。2人で最後に行った所は、今年のはじめ調布の病院に精密検査に行った帰りに寄った、深大寺そば「雀のお宿」でした。このころはまだたくさん食べられた頃でおいしいおいしいと言っていました。ここも思い出の場所になりました。

震災があって、世の中は「悲しみに寄り添って」という言葉をよく聞くようになりました。言葉では悲しみに寄り添うといっても、口ばかりで全然寄り添っていない人ばかりです。寄り添うとはどういうことなのか。

母の見舞いに行くと様態もあまり変わりないので顔を見てすぐに帰ってきてしまいます。妻にはもう帰ってきたのと言われます。私は全然苦しみに寄り添っていませんでした。苦しんでいる母にとって身内がそばにいるだけで安心だったはずです。何もしなくてもぞばに寄り添っているだけで、誰もいないときとは全然違うはずです。妻は寄り添っていました。妻は見舞いに行くと長い時間寄り添ってくれていました。悲しみや苦しみに寄り添うと言うことはそばにずっといるということでした。

口だけで悲しみに寄り添うとか、気持ちで寄り添うとかは全く寄り添ったことにはなっていません。寄り添うとはずっとそばにいるということです。母が教えてくれた最後のことでした。

明日四十九日の法要を勤めて納骨をします。追々父と同じように、京都の本願寺大谷本廟とインドのクシナガラに分骨をさせていただこうと思ってます。


2011年5月25日水曜日

お東も大遠忌

京都の本山、西本願寺に行った。会議まで時間があったので久しぶりに東本願寺へ。お東も親鸞聖人750回大遠忌法要が営まれている。西本願寺では大遠忌書いて「だいおんき」と読むが、東本願寺では御遠忌と書いて「ごえんき」と読む。仲が悪いわけではないが、お東とお西、違う事が多い。例えば畳の敷方が縦と横、障子の貼り方の表裏が逆だったり、数え出したらきりがない。
そもそも「南無阿弥陀仏」を西は「なもあみだぶつ」、東は「なむあみだぶつ」とよむ。
それにしても法要は参拝の方々でいっぱいだった。
写真は西本願寺で出た大遠忌のせんべいと東本願寺の境内から撮った山門。

2011年4月30日土曜日

大唐西域記の研究上巻 将来!


ひょんな事から手に入った大唐西域記の研究下巻という本が書棚にある。大唐西域記は唐の僧玄奘三蔵が629年長安(今の西安)を出発し西域や天竺(インド)の仏教遺跡などの求道の旅の見聞録。この解説本が「大唐西域記の研究」で、尚かつ昭和17年発行の古書である。下巻が手に入ったので上巻が欲しくなり古書検索サイトで調べたら、以外や以外、結構な高値の本でした。ちょっと買える値段でなかったので一回諦めていましたが、最近また調べてみたら何と破格の値段で出ていました。「改装本」でした。改装本の方が表紙や装丁が治してあるのできれいです。別にオリジナルの装丁にこだわらないので早速購入。
最近のネット販売はすごいですね。申し込んで翌日届きました。昔の本なのでそうすらすら読める本でもないので先ずは書棚へ。写真の通り左側下巻がオリジナルの装丁。右側が今回購入した改装本の上巻です。両者それぞれの良さが出ています。
少しづつ読んでみます。地名がすべて漢字なので先ずはその解読から入ります。ガンダーラは「健駄邏国」、
カシミールは「迦湿弥羅国」とこんな調子ですから。

2011年4月27日水曜日

JINKO<沈香>


娘たちが部屋の掃除をしたあとはお宝がたくさん廃棄されている。まだまだ使えるものも沢山あってカラーペンなど筆記用具はもう一生分くらいある。今回は錬り香水が発見された。「JINKO」と書いてある。漢字で書くと「沈香」である。沈香はお香の中でも高級品なので普段の法要ではあまり使わない。お寺やお香屋さんでしか見ない「沈香」の文字が譬えアルファベットでもこんな容器に書いてあると何か驚く。

これは沈香の香りのする錬り香水である。香水の類、沢山あるけれど「白檀」系のものはあるが「沈香」ははじめてみた。
香りを試してみると、沈香の香りが中心になっているようだが他に何かいろいろブレンドしてある。沈香の香りといってもこれは焚く前の沈香の香りだ。ブレンドした人は沈香を焚かないで香りをイメージしたのだろうか?白檀系の香水も焚く前の白檀の香りがするように。

でもでも、この錬り香水、沈香を使った法要のあとのような香りがするので使ってみようと思う。悪くない。






2011年4月23日土曜日

まるたけえびすに

京都東急ホテルのエレベーターホールにこんな唄が展示されていました。碁盤の目になっている京都の通りの名前を順番に唄ったものです。京都には学生時代と西本願寺の伝灯奉告法要のお手伝いとかで5年半おりましたので、この唄で通りの順番を見当つけたものでした。丸太町通りから南に十条までの唄は知っていましたが、東西の唄は知りませんでした。京都らしいです。


名前は東西に走る通りの北から、丸太町通、竹屋町通、夷川通、二条通、押小路通、御池通、姉小路通、三条通、六角通、蛸薬師通、錦小路通、四条通、綾小路通、仏光寺通、高辻通、松原通、万寿寺通、五条通、雪駄屋町通、鍵屋町通、魚棚通、六条通、三哲(塩小路通)、七条通、八条通、九条通、十条通の順。


南北に走る通りの東から、寺町通、御幸町通、麩屋町通、冨小路通、柳馬場通、堺町通、高倉通、間之町通、東洞院通、車屋町通、烏丸通、両替町通、室町通、衣棚通、新町通、釜座通、西洞院通、小川通、油小路通、醒ヶ井通、堀川通、葭屋町通、猪熊通、黒門通、大宮通、松屋町通、日暮通、智恵光院通、浄福寺通、千本通、西陣の順になっています。


本当はもっと道がありますが唄われていない通りもあります。唄いはじめも何故丸太町や寺町からなのか?です。御所の関係もあるんでしょうか。

2011年4月16日土曜日

お葬式に行って来ました

親友の御住職の御尊父がご往生されました。 九州の豊前市のご自坊へお参りさせていただきました。羽田から飛行機で北九州空港まで行き日豊本線で宇島下車です。少し温かくなった春の日でした。九州のお葬式の次第は東京と違います。式中にたくさんのご縁のある方から遺徳を偲びながらの感謝の言葉が次々と述べられていきました。とても良いお通夜お葬式でした。こういう式に合わせていただくと、都市部で多くなってきた直葬等ということは出来なくなります。だれしも、このように送りたいと思うに違いありません。わたしも。写真はお葬式と関係ありませんが、近くの中津市でちょっと寄った福沢諭吉記念館の写真です。

2011年3月19日土曜日

報道各社は役割分担を

東北関東大震災という名前になったようです。被害状況がわかるにつれその甚大さがわかってきました。
マスコミは競ってワイドショー気取りで被害状況を伝えることに走り、被害に遭われた方々やその家族や親戚の立場に立ったことをなんにもしていませんでした。
テレビも各社とも同じことを放送していて、こういう災害時には各局が役割分担をして必要な情報を専門に流すことをした方がいいと思います。間抜けなことに、電気も電話もインターネットも通じないところへ向けて避難所でのすごし方注意点なんて放送しても何の役に立たないでしょう。あげくには電話でお問い合わせくださいとかホームページにでていますなんていう始末。
現場の様子、支援物資の流通、病院情報、安否情報、ビデオメッセージ、その他いろいろ考えられると思います。放送各局は役割分担するべきです。

それに、羅災直後の緊急救命救急支援時期においてすべきことと、間もなく入るであろう復興支援時期の区別をしないといけないと思います。これがごっちゃになって報道され、のべられているので、何かしようと思っても混乱してしまいます。場所によってはもう復興支援時期に入っているところもあるでしょう、まだ緊急救命救急支援時期のところもあるでしょう。整理してとりかからないと。

それにしても自衛隊はなんで災害派遣で迷彩服なんでしょうかね消防や医師団、外国の救援チームはオレンジや黄色のパーカーなのに。あれじゃ被災地で遭難しますよ。

2011年3月16日水曜日

ベスト避難所?


「オニオンスープが絶品だった都内ベスト避難所は築地本願寺」
電車の「週間新潮」の中吊り広告ををみていたらこんな見出しがあった。3月11日、大地震がおきたとき首都圏の公共交通機関がダウンし、たくさんの方々が帰宅難民になってしまった。当日、帰宅できない方々の避難所が各所にできた。築地本願寺もいち早く第二伝道会館を開放し避難所を設置した。私も築地本願寺に行っていたが別の事務所にいたので避難所の中がどうなっているのか知らなかった。夜遅くに女性職員ゆっきーさんが自分で作った風のスープを鍋に入れて持ってきた。「いかがですか」と言われたが、避難所の方々へということで遠慮申し上げた。それがオニオンスープだったのか?
その後、車で築地本願寺を出たが大渋滞。いつもは家まで1時間もかからないのに3時間半かかった。
週間新潮の記事を読んでいないのでどういう扱いになっているのかわからないが、築地本願寺の職員があのとき出来る事をただ一生懸命したということだろう。

2011年3月12日土曜日

地震お見舞い申し上げます

昨日の地震大きかったです。被害に遭われた方々、心よりお見舞い申し上げます。
寺は本堂の天井からつってあるお飾りが大きく揺れ、まわりの仏具にあたってロウソク立てが倒れて落ちました。香炉や段飾りが落ちました。墓石が倒れるなど墓地などの被害はありませんでした。
地震直後から沢山の方々から心配いただき、電話やメールを戴きました。ありがとうございました。

2011年2月22日火曜日

痛風の発作かと思いきや

足の指が痛くなった。ついに来たかと思った。右あしの中指が痛い。この指には靴擦れで水泡のようなものも出来ている。この水泡が痛いのか、痛風の発作が来たのか判断が付かない。

翌日早速医者に駆け込む。「足の指が痛いんですけど・・・、いよいよ来たんですかね」とおそるおそる切り出した。医師曰く「うーん、何ともわからないなあ、痛風の発作かもしれないし傷にばい菌が入ったかもしれないし、まず血液検査をしましょう」ということで採血。

2日後に再び医院を訪れる。処方された怪我用の抗生物質の塗り薬と痛み止めを飲んでいたので痛みは和らいでいたがまだ痛い。検査の結果を見ると痛いのは痛風の発作ではないことが判明。靴擦れの水疱が感染して化膿したということらしい。

尿酸値についていえば昔から高く、今回も高いまま、毎回食事療法で頑張っていたが今回ついに高尿酸血症の薬を出されてしまった。残念である。一日一錠28日分出された。「これって一生飲み続けるんですか?」「いえ、下がればやめます」これで一安心。

医者曰く痛風には2種類あってプリン体が出ないで体内にたまるケースと取りすぎるタイプがあって、私は後者のタイプだそうだ。プリン体の取り過ぎに注意しないといけない。そう言えば最近油断して、生ビールとか飲んでいた。反省。

2011年2月2日水曜日

2台目のCANON BJ S500 


なが~い間使っていたcanonのプリンターBJ S500がついに動かなくなってしまいました。毎月の300近い発送の封筒印刷や年賀状印刷、通常の印刷等すべてを担当していました。同じCanonのMP600もあるんですが、MP600の方は給紙方法が変わって特に封筒印刷などにはちょっと扱いにくかったので、古くからのつきあいBJS500を使っていました。プリンターヘッドも何回も交換しました。それがついに動かなくなってしまったのです。あきらめていましたが、オークションサイトを見たら結構BJS500が出ていました。それもスタート100円です。古いプリンターなのでほとんど「インクつまりあり」のジャンク扱いでしたが、うちにあるプリンターヘッドに交換すれば印刷できるはずなので早速入札。100円でです。こんなもの誰も入札する人もなくそのまま落札。支払いは、送料1000円かかるので落札金額100円はサービスしますと言うことにしてくれました。しかし1000円振り込むのに500円位かかってしまいました。まいっかということで1500円の出費で無事品物が届きました。
やはり印刷できない状態でしたが、我が家のBJのヘッドと交換したらみごと印刷できました。またBJS500とのつきあいが始まります。

2011年1月31日月曜日

白象貯金箱到着


初回制作分が無くなってしまい、第二段を発注していた白象貯金箱が出来上がってきました。背中の法輪もきれいに出来ました。初回制作分より出来がかなり良いです。ほっとしました。1952個きましたのでこれからまたいろいろな御礼やお扱い品に使っていきます。お賽銭500円以上で1つ差し上げています。大量注文も受けられますので是非ご利用下さい。

2011年1月27日木曜日

スカウト指導者会評議員会議

今日は浄土真宗本願寺派スカウト指導者会評議員会議に出るため京都のご本山に向かいます。米原あたりが雪で新幹線が少し遅れるようです。
会議には全国各教区の代表の方が集まり、は今年度の報告と来年度の予定が話し合われます。来年度は滋賀県のあいばのでキャンポリーがあるのでその準備もあるので忙しくなります。

写真は今日の服装です。ブレザーにスカウトのエンブレムをつけて礼装で出席します。

2011年1月19日水曜日

北沢税務署へ


北沢税務署へ例年の届け出書類を持っていきました。1月31日までで良いのですが毎年あわてて出すので今年は早めにしました。お寺も給与の源泉徴収があるのです。年末調整があって1月10日までに源泉を納め、31日までに総括表を出します。年末年始計算に追われます。税務署の帰りに近くの羽根木公園に寄ってみました。もう梅祭りの用意が始まっていました。梅も早い木は咲いています(紅梅がピンぼけですみません)。遊園地の迷路も健在でした。この迷路私が小学校の頃からあるのでかれこれ40年以上はあることになります。でも誰も遊んでいませんでした。そのかわり、その向こうのどろんこ遊びが出来るプレイパークは子どもたちでいっぱいでした。

起工式のあと・・


正法寺の書院本堂新築の起工式が1月10日に行われましたが、そのあと現場仕事はまだ開始されていません。
工事現場は起工式のときに敷いた砂が残っています。これから基礎工事にはいるのですが、その前に以前あった池の石の移動をしなければなりません。3-4トンもあろうかと言う大きな石です。樹木の移植伐採もあります。松はそのままの場所で大丈夫なことになりましたが、きんもくせいは移植です。それと、柿の木もあるのですが、これも伐採の方向でしたが、植木の担当の方によると、柿の木の移植は難しいのだそうです。樹齢も80年位あると言っていました。建物に干渉する枝だけ払って何とか救えないかと言うことをおっしゃっていました。松井建設さんと相談して見るとの事でした。樹木は歴史があります。出来るだけ残したいところですがなかなかうまいこといきません。

2011年1月18日火曜日

ホームページカウント120000


正法寺のホームページカウントが120000になりました。思えばこのホームページ本格的にスタートしたのが2001年1月頃。今、丁度10年になります。平均で1年12000カウント、ひと月1000カウント、一日にすると33カウント位になる計算になります。ホームページとしてはそんなにアクセスが多い方じゃないですが、写真のページは資料的な要素があるので調べものをしている方はヒットしていると思います。
そもそも、自分で調べものをしていて、良い資料が見つからないので、自分で作ってしまったなんてページもあります。少しづつ更新しながら長く続けたいと思います。

2011年1月2日日曜日

年末のお身拭い


後先になりましたが年末の話題。年末恒例のご本尊「阿弥陀如来」のお身拭いを暮れの30日にいたしました。年に一回年末に本堂の須弥壇から降りていただいてお木像の汚れを落とさせていただきます。ぬるま湯でしたした真綿を固く絞ってお木像を拭きます。お木造は漆に金箔が押されています。古いお木像なので金箔は一部剥げてきていますがぎゅうぎゅう拭くと金箔がますますとれますので、綿の重さで拭くというデリケートな作業です。
お線香のヤニ、ロウソクのすす、埃が着いていますのでそれを拭きますが、今年は例年より汚れが少ないようでした。私が「一人働きの阿弥陀さまなんだけど今年はお働きが少なかったのかなあ」と呟いたら、一緒にお身拭いをした衆徒の学法君が「一人働きだから自分で汚れを落としたんじゃないですか」と返されました。
正法寺の中で一番おはたらきになっているのはこの阿弥陀さまです。今年もよろしくお願いします。