2011年9月3日土曜日

母が往生いたしました


7月25日母が亡くなりました。81歳でした。

今年の2月に胃が痛いのがなかなか治らないと言うことで、医者に行きましたら、膵臓癌と言うことがわかり余命6ヶ月といわれました。医者の言うとおり6ヶ月で逝ってしまいました。幸い我が家では母を看るものが何人かいるので、入院することなく家で療養していました。これといった治療はしなく、ただ痛み止めの薬を使って痛みへの対応をしていました。膵臓癌が大きくなると胃や十二指腸を圧迫するので食べ物が入らなくなっていき、ずいぶん痩せてきました。妻は少しでも食べてもらおうと小さく刻んだり、食べたいものをきいては作っていましたが、なかなか食べてもらえないので残念がっていました。母も食べたいのでしょうが食べられないつらさ、食事の時間が来る事へのつらさもあったかもしれません。亡くなった後、母のメモ帳があって、たどたどしい字で、妻が食べやすいように作ってくれるのでとても有り難いと書いてありました。でも、この時期、食べたくても食べられない頃だったような気がします。

最後のひと月くらいは容態が悪くなって入院しました。栄養剤の点滴と酸素吸入だけになってしまいました。酸素の入る量も少なくなってくると苦しそうでした。見舞いに行っても何もすることはありません。体をさすったり、手を握ったりするくらいであまり反応も無くなってきました。本人ももうろうとしていて会話が成り立ちません。携帯電話を持っていたので、夜中に筑波山にいるとか、三島のホテルにつれてこられた、迎えに来てくれなど、幻覚とも取れる発言がありました。そんななかでも会話が出来ることがありました。わかるかどうか不安でしたが「じゃ帰るよ」といったとき、「気をつけて」と私を案じてくれました。思いがけない言葉に驚きました。自分のことだけで精一杯のはずなのに私を案じてくれるなどいつまでも母なのかなあと思いました。

母とはいろいろなところに行きましたが、昨年はインド旅行にも行きとても元気でした。2人で最後に行った所は、今年のはじめ調布の病院に精密検査に行った帰りに寄った、深大寺そば「雀のお宿」でした。このころはまだたくさん食べられた頃でおいしいおいしいと言っていました。ここも思い出の場所になりました。

震災があって、世の中は「悲しみに寄り添って」という言葉をよく聞くようになりました。言葉では悲しみに寄り添うといっても、口ばかりで全然寄り添っていない人ばかりです。寄り添うとはどういうことなのか。

母の見舞いに行くと様態もあまり変わりないので顔を見てすぐに帰ってきてしまいます。妻にはもう帰ってきたのと言われます。私は全然苦しみに寄り添っていませんでした。苦しんでいる母にとって身内がそばにいるだけで安心だったはずです。何もしなくてもぞばに寄り添っているだけで、誰もいないときとは全然違うはずです。妻は寄り添っていました。妻は見舞いに行くと長い時間寄り添ってくれていました。悲しみや苦しみに寄り添うと言うことはそばにずっといるということでした。

口だけで悲しみに寄り添うとか、気持ちで寄り添うとかは全く寄り添ったことにはなっていません。寄り添うとはずっとそばにいるということです。母が教えてくれた最後のことでした。

明日四十九日の法要を勤めて納骨をします。追々父と同じように、京都の本願寺大谷本廟とインドのクシナガラに分骨をさせていただこうと思ってます。