2008年10月20日月曜日

ブータンから帰国しました


10月6日から18日までブータンに行ってきました。パロ~ティンプー~プナカ~トンサ~ワンデュポタン~ブムタン~ウラと、西から中央ブータンまで、今回はお寺のチェチュ(お祭り)の日程に合わせて回り、数々のチェチュでお参りしてきました。
ブータンの自然に会い、環境に会い、人に会い、こころに会い、仏教に会い、自然を大切にし、環境を大切にし、人を大切にし、こころを大切にし、仏教を大切にする姿はどれもこれも素晴らしいものばかりでした。
物質的にははるかに日本の方が豊かなのに、こころや笑顔や人の姿ははるかにブータンの方々の方が豊かでした。
幸せとは自分一人でなるものではなく、みんなが幸せにならないと本当の幸せにはならない、と言う言葉を聞きました。日本や先進諸国では、自分一人が幸せになることに必死になっている。こういう幸せは次元の低い幸せだそうだ。考えさせられる。どこまでも誰にでも仏教の教えが行き届いている。幸せな国だ。
写真はワンデュポタンゾンのチェチュで中心にパドマサンババが描かれた大きなタンカ(仏画)が上がったところ。チェチュの最終日暗いうちから始まり、タンカが上がったのは午前6時ころ。

2008年10月2日木曜日

謎の空間出現! 「本願寺和田掘廟所」野外特設劇場


本願寺和田掘廟所にお墓参りに来た方が不思議そうな顔をして「これなんですか?」と。
10月10日初日の演劇、オルガンヴィトーVol.17「バロウ2008」の特設劇場がだんだん出来上がってきた(写真)。パッと見、お世辞にも芝居小屋には見えない(失礼)。黒いテントで覆われた空間は秘密集団の野戦本部のようである。下高井戸の「青の奇蹟」を知っていれば、やっぱりこうなったかと思うだろうがしかし、今回の劇場は200mはあろうかというお寺の桜並木を背負った奥行きの深~いステージが作られている。どういう風に使うか全くわからないが、非常に楽しみである。

お寺でお芝居というと、えっと思うかも知れないが、そんなに驚くことではない。
現に築地本願寺にはブディストホール(約150席)があり連日演劇がかかっているし、以前は「黒テント」「一世風靡」の野外公演をしたこともある。極みは何といっても、境内に円形野外劇場を作り公演した「オイディプス」(平幹次郎主演、監督は蜷川さんだった)であろう。

古くは歴史ある多くの寺院は、境内に能舞台をもち、演者に演ずる場所を提供し、文化と教養を守ってきている。今にしては能は伝統芸能だが当時は、アバンギャルドな芸能であったに違いなく、寺院が守らなくては今はなかったのではないだろうか。大きな襖絵なんかもそうであろうと思う。画家を守り、場所を提供したのは寺院であった。寺は文化の中心で、それを民衆に提供した場だったのだ。

いつか寺で芝居をしたかったが、最近の寺は住宅に囲まれ、芝居中の音漏れがクリアできないのが現状。そこで本願寺の和田堀に白羽の矢が立ったのです。そして、浄土真宗の門徒である不二稿さんの脚本も台詞にしっかりと浄土真宗の教えが組み込まれ、前回の舞台では難解なストーリーも南無阿弥陀仏の一言で摂め取られてしまっていた。

今まで、お寺で芝居というと、子ども会がお釈迦さまの劇をしたとか、婦人会がしたということが多かった。不二稿さんの作演出はそれとは違う。前回の公演では、人間の(自分の)悪性を真正面から描くと本当はこうなんだろうなと思った。きれい事ではない。きれい事ではないところでそこを表現し、救われていく喜び、すでに救われていた喜びにつながっていくところは一席の布教を聞いているようであった。

と言うようなこともあって、寺での公演を、オルガンヴィトーの不二稿さんに話しをしたら、実現してくれたのです。

私、初日には行けないのですが、途中と楽日には行きたいと思っています。