2008年4月1日火曜日

「入竺」「入蔵」


インドへはたびたび行った。

インドに行った方の文章を読むと、印度に渡ると言うことからか「渡印」と言う表現をする方がほとんどだ。アメリカに行くことを「渡米」、イギリスに行くことを「渡英」とか言うのだから、それに習ったのかもしれない。

私はインドに行くことを「入竺」と言う。「天竺に入る」と言う気持ちだ。何かとても大きなものにいだかれ、包まれ、そこに入ったという感覚である。ただ単に、海を渡って、行く、という言葉では表現できないものがあると思う。
昨年、チベットに行った。チベットは「西蔵」(シーザンと発音する)という。「蔵」の一文字でも「チベット」をさす。

チベットに行く前に会議の案内があった。返信に「入蔵」の予定があるので欠席します。と書いたら、酒飲みの事だから、どこかの「蔵」にはいるのかと思ったと言われてしまった。

チベットも大きな所だった、文化も宗教もなにもかも「入蔵」と言うにふさわしい所だ。

同じ仏教徒として、いち早いチベット問題の解決を望む。

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