2009年6月6日土曜日

昭和6年の寺院名簿から思うこと


寺の古物を整理していたら昭和6年東京教区で発行した寺院名簿が出てきた。寺院数も組名も組の地域も違っている。今は統合され名前が無くなっている築地組、赤坂組、浅草組、大森組、城西組、六郷組、三浦南組、三浦北組、小田原組、伊豆組、駿河組、遠江組、下総組、房総組、北総組、那珂組が載っている。
今は24組だが、この当時は29組もある。拙寺は今は世田谷組だがこの当時は城西組である。世代で言うと私の祖父が築地別院の参勤で若かりし時である。2世代くらい前の事だ。




加えて、説教所の数が相当ある。当時の説教所が現在寺院になっているところがずいぶんあるが、そのまま消滅している説教所もある。その説教所も認可済みと認可未了の分類がされていて面白い。認可未了でもこの名簿に載っている限り認可されているようなものだろう。
今は首都圏センターの都市開教対策本部が一生懸命新たな寺院を設立しているが、当時の説教所の数は相当の勢いである。設立認可が17ヶ寺、認可未了はなんと37ヶ寺もある。

しかし、よく考えると、現在の東京教区内には浄土真宗本願寺派と思われる未包括寺院(宗派に所属していない寺)がわかっているだけでも50ヶ寺はある。今の方が寺院数は多いが、対人口比となると圧倒的に不十分であるし、この未包括寺院が宗派に所属したがらなかったり、本寺が宗派に所属しているから良いと思っていたり、この認識の差が問題になる。

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