2008年2月11日月曜日

「幻探偵」観劇

土曜に門徒さんの劇団、オルガンヴィトーの「幻探偵」をみた。

元から主宰者のふじわらさんは熱心な門徒さんで、芝居の随所に浄土真宗の教えがちりばめられている。今回の芝居は冒頭パーリ語の「三帰依」から始まり、小道具に漫画歎異抄をもって登場。せりふにも歎異抄の「悪人正機」や「阿弥陀仏の本願を妨げるほどの悪もないのだから」などが出てくる。

自ら自分を息をしている肉のかたまり、畜生だと言い切る主役の女性が、阿弥陀仏に救いに目覚めると言う結末であった。

ふじわらさんは人間の煩悩や悪性、ほんとうにどろどろした所を強烈な演出で表現する。なかなか一般には受け入れられないかも知れないが、人間の中は本当はああなんだろうなとおもう。舞台なのであれ以上に強烈に表現できないのだろう。

しかし、ふじわらさんの前作の映画「イド」では人間の悪性を映像のなかで本当に汚く、おどろおどろしく、強烈に表した。
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以下最後の部分のせりふです。まるで法話のようでした。

碧 )  ははは「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや。」だって?そりゃぁ一体どんな悪人だい?コソ泥かい?うそつきかい?人殺しの事かい?

小林 )  きっと・・きっとどれでもです。どんな悪でもです。教えてもらったんです、ある人に。「また悪を恐れる必要もない。阿弥陀仏の本願を妨げるほどの悪もないのだから。」と。

碧 )  へぇ~、人間には強い味方がいるんだ。けど言ったろ。畜生はどうなんだいって。畜生はお念仏唱えられないからダメなのかいって。

小林 )  それは・・。

碧 )  ははは。畜生はダメですか、畜生はお念仏唱えられないからダメですか?

小林 )  ち、畜生はまっすぐなんです。畜生は始めっからお浄土に向いて暮しているんです。
 
碧 )  食われるためだけに生まれてくる畜生でもかい?

小林 )  そうです。きっと。妬んだり、恨んだりせず、ただ、今日のこの日を・・。

碧 )  鶏の肉を引き裂く野犬どもでもかい?

小林 )  そうです。妬んだり、恨んだりせず、ただ今日を生きるために・・。

碧 )  じゃあ人間の畜生だけが救われないんだ。妬んだり恨んだり殺したりする畜生だ。

小林 )  ああ・・、いいえ、畜生と自分を蔑む心に気付いた時にその人は、その人はきっと、・・自分が救われてゆくいわれを知るんです。

碧)   畜生と自分を蔑む心に気付いた時に・・、

小林)  ええ、気付いた時にその人は・・、

碧)   救われてゆくいわれを・・知る・・?

小林)  はい、畜生のような自分でも、救われたいと思う心を持っていることを、知るんです。

碧)   救われたいと思う心を・・。

小林)  持っていると・・。

闇の中、うごめく者らの影。そこに射してくる五色の光。光に向って手を指しのばすうごめく者ら。読経の声が波打つように押し寄せてくる。

碧)   (小林を異様な力で鷲づかみ)畜生は、息をしているだけの肉の塊・・、生まれてくるのが地獄っ・・、あああ、だけど・・、そんな命でも救われようともがいているんだ・・、光に向かって帰ろうともがいているんだ・・・。(吸い込まれるように光に向って手をのばす) 
  
小林)  (ただ止めどなく涙する)

【中略】
         明智智子探偵からの葉書を見つめる小林。

小林)  「前略、小林君。いいえ、神沼清吾殿。あなたは自分の心ごと時間を封印し、四十八年間も繰り返し繰り返し、狭い世界で苦しみ続けてきたんです。もう充分です。もうあの無明の世界は消えてゆく、そうでしょう?あなたは、どうしても救われて欲しかったあの人の心に寄りそい、かつて見失った信心の心を、探しあてたのですから・・・。」


         小林を五色の光が包んでいる。
         はすの花が散華する。


終わり
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芝居が終わり帰ろうとしたら外は大雪でした。

オルガンヴィトーホームページ
http://www.organvital.com/

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